2011年4月23日土曜日

息子誕生・地震・里帰り・そして自宅へ

長らく放置をしていたブログをそろそろ再開しようと思う。放置していた2ヶ月以上、色々なことがあったので、まずはその記録から。

息子誕生

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IMGP4460 posted by (C)mas

2011年3月7日に第二子となる息子が産まれた。娘と同じく無痛分娩で産んで、同じ日に産む予定の10人中最速で産まれるという順調なお産。やっぱ賛否両論あるけど、父親の立場から見ても無痛分娩は素晴らしい。奥さんへの負担が小さいのが何より。

お産は何があるか分からないと頭では分かっているけど、性格的に楽観主義なので、まぁ大丈夫だろうと思ってた。むしろ心配なのは娘の方。娘はママ大好きなので、奥さんが入院している間、僕と2人で生活ができるだろうかと。しかも奥さんの実家で。

と色々心配はしていたんだけど、結果大丈夫だった。「ママに会いたい」が口癖ではあったものの、娘なりにガンバって割と普通に暮らせた。下の子ができることで、上の子の成長が1つジャンプアップした感じ。

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IMGP4477 posted by (C)mas

息子に関しては、娘が産まれた時にも思ったけど、やっぱりイヤなことや不幸なことは知らないで幸せに育っていってほしい。2人目が産まれるまでは、1人目と2人目への愛情の配分ってどうなるんだろう?って考えたことがあった。50%/50%になるのかなぁとか思ってたけど、産まれてみて違うことが分かった。半分ずつになるんじゃなくて、瞬間瞬間に100%の愛情を注ぐものだった。やっぱり子どもはかわいい。

無事息子も産まれ、産後の経過も順調。予定通り、息子と奥さんは2011年3月11日に退院した。そう東日本大震災の日。

地震

息子と奥さんが退院してきて、まずは奥さんの実家で里帰り。午前中に退院してきて、これから大変だけど楽しみだな、なんて思ってた矢先に地震が起こった。

その時は、ちょうど娘も息子も昼寝をしていて、スゴい穏やかな時間だったんだよね。でも、体験したことのない揺れで、とりあえず子ども2人を抱えて外に出た。すぐに外に出るのは危ないとか、色々な意見もあるけど、そこまで頭が回る状況じゃーなかった。で、大きな揺れがあったものの、これがそんなに大変な事態になるとは思ってもみなかった。子ども達は昼寝し続けてたしね。ところがご承知の通りの大災害。産まれたばっかの子どもがいる中で、特に奥さんは本当に不安な日々だったと思う。

特に東京都の水から放射線物質が出たニュースは、この状況下でかなりの衝撃。息子がたまに飲むミルク、まだ2歳の娘が飲む水、授乳している奥さんが飲む水、全てが安全でないと困る。あんまり買いだめはしないようにしていたけど、子どもが関わるとそうも言ってられない。近所にはもう水とか売ってない状況だったので、急遽熊本の親戚に水を送ってもらうよう依頼した。ちなみに熊本でも、水の在庫がかなり減っていて、1人2本までとか制限があったらしい。

ちなみに、我が家の被害は大したことなかった。写真に収めたので、一部を公開。

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P1010635 posted by (C)mas

娘のおもちゃがグチャグチャに…。IKEAの棚が倒れなかったのが、不幸中の幸い。

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P1010631 posted by (C)mas

個人的にショックだったのが、Olasonicのスピーカーが机から落ちて傷ついたこと。

里帰り

息子が産まれる前は、僕は仕事もあるから平日は基本的に自宅にいて、週末に奥さんの実家へ行く程度って考えてた。あっ、奥さんの実家は、自宅から車で30分ぐらいの所なので、すぐに行けるのです。

でも、地震のように、いつ何があるか分からないと思い、極力家族の所にいようと、僕もほとんど奥さんの実家に泊まってた。里帰り中も余震があったり、水から放射線物質が出たりと不安な日々だった。

そして自宅へ

息子の1ヶ月健診も済み、地震もだいぶ落ち着いてきたので、まぁそろそろ家に帰ろうかと思った矢先にやりました。ここ数年クセになってるギックリ腰。今回は、立ったまま靴下を履こうとしてやっちまいました。これのせいで、自宅に帰ろうと思った日の前日まで、帰るかどうか悩むことに…。最終的にはギックリ腰が少し残ったまま、奥さんに力仕事を任せて帰りました。奥さんには申し訳なかったな。

多少無理やり気味に家へ戻ったけど、やっぱり家が良い。子どもが2人になってバタバタした生活で、奥さんは1人で2人を相手にする時間が長くて大変だけど、ふとした瞬間に落ち着けるのはやっぱり自分の家だと実感。

まぁそんなこんなで、色々ありました。これからは家族4人楽しく暮らしていこうと思います。

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